宮崎のとあるエリアに良質なサンドバーが形成され、グリグリの波が割れるチューブポイントがある。
私のサーフィンに影響を与えてくれたメンターは何人かいるが、その某ポイントのチューブマスターもその一人。
そのチューブマスターは、ウインターシーズンのパイプやオフザにチャージするハードコアな方。
過去の宮崎トリップで、低気圧が宮崎沖を通過し4〜6ftオーバーのチューブコンディションとなった時があった。
今までこのサイズのチューブは経験がなく入るのに躊躇したが、チューブマスターが「君ならできる」と言うので一緒にチャージすることに。
セットの合間を見つつなんとかゲットしピークに到着。
その重厚なブレイクに入ってみると、水量、リップの分厚さ、ボトムが見えるほど底ぼれしている具合。
ケガこそしなかったもののまともには乗れず、コテンパンにされ、ただただ恐ろしさを感じたり、バックリ開いたチューブの出口からスピッツと共にスタンディングで抜けてくるチューブマスターの姿を目の当たりにして、圧倒的な挫折をわからされたり、今でもその時の光景は脳裏に焼き付いている。
サーフィンには、区分してよいのか分からないが色々なジャンル(チューブ、エアー、ノーズライドなど)があり、そのジャンルのスペシャルなレベルに到達するには相応の努力と準備、何より気持ちが大事なことを知った貴重な機会であった。もっとも努力だけでは到達できないレベル・自分の限界があることも知った訳だが。
きっとチューブマスターは、このラインナップを通して私に色々と経験・勉強させたかったのであろう。
これは死ぬかもしれないなと思う波にチャージして限界を知ったからこそ、自分にはできないサイズのチューブにチャージできるサーファーには本当にリスペクトを感じる。
話は変わり、これまた過去にトリップしたウエストジャワ・バツカラスの話。
このポイントは大きくはないが綺麗な形の波が規則正しくブレイクするロングボード向けのポイントがある。
そこでは偉大なローカルサーファー達が、トリップサーファーや、ローカルキッズ達に波を譲っている。譲られた方は全力で楽しみ、その後には、ありがとう、良い波だったと御礼する。
トリップサーファーがローカルをリスペクトし、謙虚に振舞い、周りに迷惑をかけず楽しんでいる。そういった環境は最高。
一方、日本では、たいした波じゃないのに他者を威圧するようにヘイヘイ言う人がいたり、ロングボードやミッドレングスで入るようなスモールコンディションでも、何故かパキパキのショートボードでいきなりピークに向かい、くる波全てにテイクオフしようとハッスルする人がいたり。
(乗れてもパンピングで終わりなのだが)
サーフィンとは自然の偉大さと人間の矮小さの狭間での葛藤を感じるものだと言われる。
楽しむのは勿論なのだが、自分自身の限界と力量、サーフボードの限界を知って、皆が謙虚に振る舞えば、海の中はもっと平和になるはずで、そんな日が来ることを願う。
これはサーフィンだけに限ったことではなく、人生においても同じことだと思う。